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「トップをねらえ!」2話の脚本はどのようにして書かれたのか ―岡田斗司夫氏・山賀博之氏の証言―

トップをねらえ!」2話の脚本について、岡田斗司夫氏は「BSアニメ夜話」で同作が特集された回(2008年3月18日放映)において以下のように証言している。

トップをねらえ!」で僕脚本としてクレジットされてるんですけども、実際ねえ脚本ぽいの書いたのってこの2話だけなんですね。で、えーと、なんでかっていうと、これあの、山賀博之くんと一緒に始めたんですけども、山賀くんがですね、「俺は「オネアミスの翼」で華々しくデビューして、こういうアニメも書けるけども、書いたということを自分の経歴上残したくねえ」ってあの野郎が言い出してですね(笑)「ゴーストライターに徹するから岡田さんも一生言わないで」って言って、「分かった」って。そしたらこの「トップ」が売れたらあいつ自分で言い出した(笑)インタビューで言ってんですよ。

で、そん中でも僕がやったの、僕がそれでも脚本っていうふうに自分で言えるのは何かっていうと2話を作ったからなんですね。その、1話の大きい流れの、女子校があってそこでロボットがやっててコーチが出てきて贔屓だっていうあの変なパロディみたいなプロットと2話を、これを作ったからなんですよ。で、これねえあの、ファミレスで、あの、もうずっと憶えてるんですけど、ファミレスのですね、出てくるナプキンの、でっかいナプキンがあってそれの裏にずーっと書いて説明したんですよ。で、そのときに「宇宙船がこう見えて後ろの方から進行してきてまだ前が見えなくて」って山賀くんに説明して、山賀くんが「はあ~」とか言ってて。で、山賀くんはそれはそれで、あ、この2話は面白いと、岡田さんはこの調子で6話まで考えてくれるに違いないと思ってたら、もうそっから先、3話4話は山賀くんおまかせーとか(笑)だいたいのストーリーとか設定言うだけで、あと山賀くんが必死で苦しんで6話まで書いたっていうのが「トップをねらえ!」の実際なんです。

 この放映を見た私は、岡田氏が「脚本ぽいの書いた」「2話を作った」と言っていることから、2話に関しては岡田氏がプロットから脚本まで仕上げたのだろうと思っていた(山賀氏に2話の内容を説明しているのは、3話以降の脚本のためだと思っていた)。

ところが、どうもそうではなかったらしい。

 

下記の動画は、2012年9月22日に京都国際マンガミュージアムで開催されたトークセッションの録画である(イベントの概要についてはこちらを参照)。

このトークセッションは、山賀博之氏、赤井孝美氏、武田康廣氏がガイナックスの過去作品について回顧するという内容で、「トップをねらえ!」についても言及されている。

詳しくは録画を見てもらえば分かるが、山賀氏の証言によれば、2話の脚本を執筆したのは山賀氏であったらしい。

もっとも、単純に山賀氏一人の力であの2話ができたわけではなく、山賀氏・岡田氏・庵野秀明氏3人の力が合わさって始めて一つの物語として完成したというのが実情のようだ(赤井氏の言う「3つのフィルタ」という言葉が印象的である)。

複数のクリエイターの力が合わさることによって、単独では生み出し得なかった優れた物語が生まれた実例として非常に興味深いものだと思う。


Ustream.tv: ユーザー kyotomm: トークセッション「~ガイナックス流アニメ作法を語る~」第2部, トークセッション ~ガイナックス流アニメ作法を語る~ 【2012/9/22】 http://www.kyotomm.jp/event/spe/gainax2012.php#relation...

トップをねらえ!」についての言及は34:51~46:59。

録画が削除されたときのときのことに備えて、書き起こしも添えておく(誤記などありましたら指摘していただけると助かります)。

山賀 ああ「トップをねらえ!」はですね、結局「オネアミスの翼 王立宇宙軍」、ああ2つ入ってあってややこしいんですけれども、最近は「王立宇宙軍」で統一してるんですけれども、これが、これは実は就職のために作ったというのはまあさっきの話のまんまでして、えー、終わったら会社維持するのもしんどいし、まあ解散しようかってなことをまあ一番最初の当初から言ってたんですけれども、ま、会社作ると色々しがらみができるのと、あと解散したときに僕ら、要するに現場の絵を描いたり脚本書いたりするスタッフは仕事がその後ガンガンやってくるんですけど、プロデューサーとか、要は岡田さんとか、まあ井上さんて方もいたんだけど、要するにプロデューサーの人たちは別にそれで仕事が続くわけではないわけですよね。要はまあそこら辺も考えずに解散しようやぐらいの乱暴なことを言ってたんだけれども、まあいろんな意味があって解散は出来ないと。まあ、あのー、借金があったので解散しなかったってのはよくWIKIとかに書いてあったりするんですけど、それは割りと早々に決着は着いたんで、その時点で解散すりゃできたんですけれども、まあ実際はもっと複雑な理由で、えー、結局解散しないままうだうだと、えーと、作画スタッフを解散した状態で会社自体は続いたと。で、岡田さんはそれでご飯食べていかなきゃいけないんで、バンダイとちょっとなんか企画の話をしてたと。で、岡田さんはそれで、なんていうのかな、なんか、まあ、当時のバンダイから1万本売れない、ああ要するに今のOVAはどう頑張っても1万本売れないんだと、今のってあのー30年近い前の話なのに、まあ1万本売れないんだって言われたと。
赤井 まああの頃高かったしね。1本ずつがね。
山賀 うん高かった。
赤井 1万円、1万円ぐらいしたよね。
山賀 1万3千円とかしたよ。
赤井 で、ねえ、1万本も売れる企画を考えてくれってので岡田さんが考えたのは自分の好きな、あのー…。
山賀 いや、あのときにやっぱり同じようにみんなで集まったんだ。
赤井 ああ、集まったんだっけ。
山賀 で、美樹本晴彦がキャラクターデザインやって、なんだったっけ、なんか…
赤井 だから1万本売れるの、手持ちの駒で1万本売れるのは、まず美樹本晴彦だろうと(笑)
山賀 そうそうそう。自分、自社の人ではなかったんだ(笑)よその人や(笑)
司会 よその人じゃないですか(笑)
赤井 だから作監はしてくれないだろうけど、キャラデぐらいはやってくれるだろうと。
山賀 まあそんな、そんなことを合成して、ん?こんな企画ならいけんじゃないのかっていうやつで、まあ、現場的には岡田さんが進めてる企画だからまあいいやっつってほっといたっていうようなところだったんだけども、ちょっと岡田さんに「相談があるんだけど」って言われて、「やー、これ言ってた企画進めてるんだけど、メモ書いてみたんだけどこれどう思う」って渡されたメモ見て、「岡田さん、これじゃストーリーにはなんないよ」っつって、「ああ、わかった。じゃあ俺、俺に任せてくれりゃ一晩でとりあえず1話ぐらい書くから、書いてくるから」って、書いてきたら、「あっ、これはいい」って言って、「じゃあ2話も書いて」って言われたから、「はい、じゃあ2話。まあ一晩だ、一晩だけだよ」っつって「一晩、一晩だけ手伝うよ」っつって、一晩だけ手伝って書いてきて。そしたら、2話まで書いた時点で監督決まってなかったんだけど、その2話、これは伝聞で聞いたんだけれども、2話の脚本を見た庵野がなんか俄然やる気になって、これは俺が監督すると言い始めて、庵野が監督になった時点でもう全体現場が動くような形になったと思いますね。
質問者 質問なんですけども、当時のOVAで考えると、シリーズものっていうふうなのは、結構危険だったのかなっていうふうなイメージあるんですけど、○○(※聞き取れず)。
山賀 いや、○○(※聞き取れず)ダロスの、押井さんのダロスもシリーズものだったし、OVAってシリーズものだったと思いますよ。基本の○○(※聞き取れず)。
武田 いやいや、色々あんときはまだ試行錯誤やったんで色々あったんです。一発ものやったりとか。
赤井 ただ多いのはテレビアニメをビデオ化するというもののバリエーションだったんですよ。なので、あのー、シリーズものにしたいというのは基本路線だったんです。当時、バンダイ、あれもうバンダイビジュアルだったっけ。
山賀 まだバンダイの映像、なんか…
武田 エモーション。
山賀 エモーションレーベルになるかならないか。
武田 ○○(※聞き取れず)そのぐらいやね。
赤井 そのときの主力が、表企画がパトレイバーで、パトレイバーをやってるけど、そのパトレイバーの、なに、この、あのー、2番手というか2軍企画みたいな感じでしたよね。
山賀 だからタイトルは最初、ま、どんな話にするっつったけどトップガンとエースをねらえを足して2で割らなかったような話がいいんじゃないかっつって、で、要はトップをねらえ?とか言って、そのときはゲラゲラゲラゲラと笑ってたんだけど。そのうち、なんか企画やってくうちにタイトル他に考えらんないねって話になって(笑)いいんじゃねこのまんまで、いいのかそれでという話の中で決まった。
赤井 これをねえ、これをあのー業界ではプロジェクトA現象と○○(※聞き取れず)。
司会 また、また人の作品ですよね(笑)
山賀 いや、その当時だからねえ、いやほんとこんなことをねえ、ファンの皆さんの前で言うのはねえ、心苦しいんですけれど、その当時ほんとやる気がなかったんですよ皆(笑)そういった意味じゃ、うん、「トップをねらえ!」の頃は一番、そういう意味では、皆、なんだろう、若いからそれなりに職業的に手を抜きたくないとか、よーし頑張ってやるぞっていうのは、その、ベースの部分のなんていうかなポテンシャルは高いっちゅうかな、なんかあるんですけれども、うーんでも、ほんとのこう会話をしてる気分としてはもう最低に全くのってないというか、全然やる気はない。
赤井 あれは「王立宇宙軍」というのがほんとに一つの祭でね、その、ある種青春の祭みたいなんあって、大阪からDAICONグループのみたいな感じで出てきた僕らと東京で集めた知り合いとさらに東京の実際アニメーションやってるスタッフとが会って、ある種のこの連合のようなものできて、それが凄い、なんだろうね、有機的にこう重なって大きなことをしたっていう満足感があって、ある種この、「王立」の燃え尽き症候群みたいなのがちょっとしばらくあったんですよ。で、何をやっても「王立宇宙軍」よりもちょっとスケールが小さいもんだから、少しねえ、その、その後の企画を僕ら自身が軽んじてたところがある。次やるならまた「王立」みたいな凄いことをやろうみたいなのがあって、その間を繋いでいく食っていくための企画みたいなイメージがあらゆる仕事にあったわけです。それがまあ、「トップをねらえ!」は逆にそれが良かった。肩にあまり力が入ってなかった。
山賀 会社自体もね、ちっちゃいなんかね倉庫、倉庫って言うとでかいものを思い浮かぶかもしんないけど、一般家屋を倉庫に改造したような倉庫に、しかも2階だけか、2階に移ってて、ほんと1個のちっちゃい事務所にいっぺん縮小してる時期に作ってましたね。
武田 「王立」のときの吉祥寺のスタジオをいっぺん別の会社に移して、で、その会社が使ってたとこなんだよね。そこと入れ替わったんです。維持費が安いからっつってね。ほんと倉庫の2階ですよ。ちっちゃーいちっちゃーいとこで。ちょうどその頃に僕は大阪で、その、ゼネラルプロダクトってのやってたんだけど、それが大阪じゃあちょっとこれじゃまあやっていけんなあって言ってガイナックスと合流しようって言って、ゼネプロがその1階でやってたの。
司会 へー、じゃあそこにショップがあったってことなんですね。
武田 いや、ショップはなかったです。
司会 あ、その会社、ゼネプロの機能が下にあったてことなんですね。
武田 そうそう、ゼネプロの機能が下にあった。倉庫兼ね。ほとんど倉庫の中に住んでるみたいでしたよ。
赤井 で、「トップをねらえ!」って1話を作って、1話を見たときはまあ面白いなアハハだったんだけれども、2話を社内試写やったときに、もうなにかこう、あの、こう、こう、みんな全員泣き、みたいな。あのー、2話のアバンでね、あの、お父さん、あのー、次の誕生日までに帰ってきてねピー、とかあるじゃないですか。で、ノリコ…とか言ってピカーみたいな。あそこで皆やられちゃって。
山賀 あれもね、最初岡田さんから渡されたプロットであのネタ、あのウラシマ効果のネタっていうのは、なんだろうな、ちょっと、パロ、SFパロディとしてのちょっと要するにコメディ的なところで作られてるものだったんですね。それに対して、僕も、「あ、これパロディだ」と思ったんで、ただ僕あんまりSFも詳しくなければ、そのー、そもそもアニメというものに対してあまり詳しくない時代だったんで、パロディっていうもののその、なんだろうなあ、空気が分かってない。だから、あ、岡田さんこれパロディなんだなって、じゃ俺は俺なりにちょっとこれパロディをちょっと濃くしとくよと思って、少女漫画というか、まあ、なんか少女漫画的な、勝手に思ってる少女漫画ですけど、70年代に少女漫画的な、なんか描写で…。
赤井 まあちょっと泥臭いこの、あのね、典型的な、このメロドラマ的な…。
山賀 そうそうそう。
赤井 泣きを入れたんだよね。
山賀 そういう泣きのパロディとしてやったら、意外と泣きのところでみんな引っかかっちゃって(笑)
赤井 あれはねー、だから、その、岡田さんが目指したのは割りと星新一的なちょっと乾いた、SFの科学の世界では宇宙に行って帰ってくると皆年寄りだーみたいなのをしたかったんだけど、で、じゃあそれ、山賀くんがちょっとそれに泣きを入れたら庵野が感動してしまって。で、庵野くんがこう「んー!」って泣ける感じで作ったら…。
山賀 さらに泣き加速を加えたんだよね。
赤井 そうそうそう。そうです。
山賀 だから未だにあの2話は結構泣けますよねって言われると、ちょっと複雑な気分(笑)
武田 確かあれだよね。あのウラシマ効果、一番最初のネタは、あの、誕生日が終わってたっていう確か、最初のネタだったんだよね。
山賀 そうそうそうそう。帰ってきたら誕生日が終わってたギャフンみたいな(笑)
武田 そのギャフン○○(※聞き取れず)はずやったのにそこが、この、山賀がガーっと膨らましたとこで皆がこう…。
山賀 膨らませたのは別に文学的に膨らませたわけじゃなくて、あの当時の俺のよく分かってない気持ちでパロディとして膨らませただけだったんだけど。
赤井 まあこれが本当にあのー仕掛けとして岡田さんがSFにして、山賀君がそれをあのードラマにして、庵野くんがそれを真面目にやったっていう、この、それぞれ全く、あの、ある意味では意図してない3つのフィルタを通したことによって非常に精度が高いものが出来てしまって、で、それは、あの、期せずしてできてしまって、まあ何でもいいから1万本売れればいいやって企画だったので泣かせるつもりはなかったわけですよ。でも俺もそれ見て、うちの社員も皆泣くし、俺もしてやられたと思って、そのときに僕はアニメの現場をやるのをやめちゃったんだ。いや、これもう、庵野天才だわと思って。だって聞いてた話ではもっとお笑い、お笑いSFやったのに泣かせるかあ、しかもなんかうちのオタク社員どもが皆見たこともないような感動した顔してんので、この路線にいたら俺は一生こいつのケツを見ながら進まなければいけない、こいつと同じ路線を行くのはやめようって言って、僕はアニメを、アニメのこの一線からどくわけですよ。その、「王立」までは凄いアニメを一生懸命やってたんですけどね。
武田 ○○(※聞き取れず)、だって「トップ」って1話はロボット操縦するのに鉄下駄ですよ。レオタード履いて。あの1話とかの、要するに1巻目とかの評価っていうのは、SFを舐めんなとかロボットアニメ舐めんなと言われたわけです。それが2巻目出たときには、もうなんかSFの金字塔みたいなこと言われてるんですよ。
山賀 いやもう皆ね、いいように解釈してくれるんですよ。「1話であれ引っ掛けだったんですね」って言ってるから、引っ掛けてない引っ掛けてない(笑)
武田 あれはあーゆーノリっていう。
赤井 まあでも、この「トップをねらえ!」の体験は多分「エヴァンゲリオン」にも生きていて、要はその、なんだろ、思わせぶりにすればお客さんはその間のことを脳内で補完して感動するんだと。全部描いちゃうと駄目で、この落差があればこの間を、面白ければこの間をいいようにとってくれる、っていうことの原体験の一つっていう意味では「トップをねらえ!」っていうのは我々の集団にとっては非常に大事な成功例だったなと。凄く頑張ればいい作品が出来るわけじゃないんだと(笑)化学変化みたいなものを作んなきゃいけないんだなみたいな。